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タイトル 司書の私書箱

No.22「建築と図書紹介の手紙」

挿絵
※挿絵はクリックで拡大します。

前略

 建築の話をしていて思い出したのは、恩田陸の小説『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎 2016)の中で、ピアニストである登場人物が「曲を仕上げる」作業を家の掃除に例えてその内部(?)を詳細にたどっていく、という部分です。
「綺麗な部屋を眺め、住むところを想像している分にはいいけれど、実際に暮らしてみると、話は異なる。家を維持する掃除は、絶え間ない肉体労働だ。演奏もしかり。常に家全体を綺麗にしておくのは難しい」
 こんな具合です。これは興味深くて、音楽の演奏だけでなく、本を読むことについても同様なのでは、と思ったんです。

 例えばボルヘスの『バベルの図書館』(『伝奇集』岩波書店 1993 所収)というわけのわからない作品がありますが、あれも作品自体、図書館という建築物として読めるのではないか。ドアを開けようと思ってもそのドアが重いこと。がんばってなんとか開けたところで見えるのは、見たことがあるはずなのに何を意味しているのかわからない物体の数々。この図書館、どうやって掃除すればいいんだよ!と言いたくなります。
 さらっと読むぶんには何でもないのですが、精読しようと思うとけっこうな体力を使う。掃除をしている、という感覚はなかったけれど、このへんが作家のすごいところだな、と。
 また、建築物を描いた本はそれ自体が建築物のように構成されてしまうのではないか、なんてことも考える。カフカの『城』はなかなか城にたどりつかない話だけれど、そのたどりつかない話自体が城の構造を示していたりしたら楽しいですね。

 本と建築、どちらも人のくらしに欠かせないものだけに、比べてみるというのはいい試みなのではないでしょうか。と書いて、では手紙はどうだろうか、と。手紙は読んでもらう相手が見えていることもあり、家だとしたらオープンハウスをしているようなものですね。そう思って今回は、使い慣れない「前略」で始め、ドアを開けたところにリビングダイニングを置いてみたつもりです。

 さて、少し落ち着いたので奥の小部屋に移動しましょう。
 先日「本を紹介する」ことにフォーカスしたイベントに参加したんです。いや、髙橋さんも参加されたあれです。本にまつわるイベントはいろいろとあるし、本を紹介するものも多いけれど、「紹介すること」のイベントというのは珍しいかもな、と思いました。
 内容のことはまたどこかで触れるとして、図書館員が「館」の外へ出て、いろいろな風に吹かれているのを見るのはいいものです。私自身も風を心地よく感じましたし(冬ですが…)。
 イベントのサブタイトルが「人はなぜ本を紹介するのか」というもので、参加した人はその問いに対して、それぞれ答えを出したり、問い続けたりしてくれたのではないか、と考えています。
 人はなぜ本を紹介するのか。仕事として紹介するときなどは、目的を言葉にできると思いますが、仕事でなかったら紹介しないかというと、どうもそうではないのではないか。(ある種の)人は、目的などなくてもやむにやまれず、本を紹介してしまうのではないか。
 私もその問いへの自分の答えを用意したので、ここでお伝えしておきます。自分の答えと言いつつ引用になってしまいますが、まあ本紹介に関する問いですからお許しいただけると助かります。
 夢枕獏の『神々の山嶺』(集英社 1997)の中で、登山家が「なぜ山に登るのか」という問いにこう答えます。

「そこに山があるからじゃない。ここに、おれがいるからだ。ここにおれがいるから、山に登るんだよ」

 うーん、やっぱり作家ってすごい。今回は引用が多い手紙になりました。この建築の中に本が置いてあったということですね。

草々
(大)

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