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タイトル 司書の私書箱

No.19「想像力と文箱の手紙」

挿絵
※挿絵はクリックで拡大します。

 想像力。
 足りないとわかっているのに、周りの口は「必要だよね」と美声を奏で、結局私はうまくできなくて目を伏せてしまう。そんな恐ろしいテーマを拾ってみようと思います(笑)
 紡げ、言葉を。出番だMYイマジネーション。

 自分では、想像したり、じっと考えたりという行為自体は好きな人間なのだと思っています。
 ただ、外の世界で求められていることが想像できていないなあ、できないといけないことができていないなあ、うまく言葉を選べなかったなあと感じると『半年ROMってろ』状態になって口を噤んでしまう。私の想像力が足りていないせいで人に不快な思いをさせてしまう、場合によっては迷惑をかけてしまう。
 外の世界はなかなか怖い環境です。ああ隠れ家に逃げ込みたい。

 『半年ROMってろ』は耳触りこそざらつく言葉ですが「みんなのいる世界のあれこれをその世界に合ったように想像できないのなら、その世界の価値観に馴染んで、感じて、知識を増やせ」という解釈で、勉強法として実際に効果を感じた経験があります。
 守破離の「守」みたいな。まずは自分の中にあるものはしまっておいて、ルールや価値観を覚える(感じて理解する?)時間をとる。真似をするのは良いことだ。味方を増やせ。

 大林さんは、想像力と図書館の関係を「人の想像力が多様なグラデーションをつくり、図書館が色を囲うフィールドになる(若干違うような気がしますが…お許し下さい)」とおっしゃる。なんと素敵な関係なのでしょう。知性と温かさを感じられる、なんというか大林さんらしいなと嬉しくなってしまいました。
 せっかくなので、私も同じテーマで考えてみたくなりました。私らしい「想像力×図書館×色んな人」の関係について。
 ええ。じっと考えるのが好きなものですから。

 ―色んな人がいる。他の人を認める人も認めない人もいる。想像力のある人もない人もいる。攻撃する人もいる―。私は、ここはイジれない。
 さらに色んな人たちは社会という枠の中で近づいていく(近づかなくてはならなくなる)、時にぶつかって片方を壊したりもする。そんな時に想像力が関節になってくれる。関節によって両者の一部分だけがつながることによって、それぞれの人は形を保ったまま安全に動くことができる。一方で繋がった関節が多くなるにつれて、身動きがとりにくくもなる。関節の機能を捨ててでも前に進みたい人もいる。人を壊していけないわけではないが、他の人は見ている(たまに社会も見ている)。関節で繋がる。社会が関節を提供できれば、色んな人は色んな人のままでいられる。図書館は人の「色んな」によらず、社会に関節を提供する。社会の枠は人によって作られ、図書館を攻撃するのも守るのも人である。
 新しい図書館を作るとしたら…「良い関節、あるよ」を徹底するとかでしょうか。それは想像のベースになる個人の世界を広げるためのエサを頑張って良いもの(質・量)にすることと、社会に役割を知ってもらうために、義務教育よろしく一人ひとりの「色んな人」が幼い時から役割を当たり前にすること…とかでしょうかね。うわっ保守的。

 前回のリノベーションのお手紙をいただいて、ふと文箱に目が留まり、往復書簡が始まって2通目にいただいたお手紙を読み直してみました。いつだって手紙を読み返すときの気分は悪いものではないのです。
 2通のお手紙を読んで、しばらくぼーっとして、私は「新しさ」を支えられる図書館員が好きなのかなあと思ったのでした。大変じゃないですか?土台って。
 いずれにしても、大林さんにいただいたお手紙を読み返すことで自分の思いに気づくことができました。ありがとうございます。きっと、リノベーションもそうなんでしょうね。読み返すこと。
 変わったこと、変わらないこと、軽やかに付け加えること、頑張って残すこと。生まれること、気づくこと。大林さんのお仕事先の文箱に入った手紙(と今なお届き続ける手紙)は、どんな顔をしているのでしょう。ひと様宛の手紙を覗くほど野暮ではありませんが、大林さんのことも書いてあるとなれば気にもなるのが正直なところ。いつかどこかで「こんなことがあったよ」と聞かせていただければ嬉しいです。(高)

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