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タイトル 司書の私書箱

No.12「表情と土壌の手紙」

挿絵1
※挿絵はクリックで拡大します。

 こんにちは。閂の表情ね、やってみましたよ。文字を大きなポイントで表示して、フォントをマウスオーバーでくるくる変えて。よくこんな(バカバカしい)こと思いつきましたね!
 私の環境で試したものでよかったのは
「さなフォン→さなフォン角→さなフォン丸」の「飄々→吃驚→諦観」という変化。
 また「マメロン3Hi Regular→3.5→4→5」のじわじわと、しかし確実に満ちてくる感情表現。
 そして「游ゴシック→游ゴシックLight→游ゴシックMedium→游明朝→游明朝Demibold→游明朝Light」の、同じ人物(人物?)でありながらTPOによって佇まいを変えるキャラクター。
 というあたりです。高橋さんが「暇なときに」とおっしゃられたので暇なときにやってみたんですが、かなり暇が潰れました。忙しいときにやるもんではない、しかしそんなときほどこういう遊びにはハマってしまいます。

「タイパ」(タイム・パフォーマンスの意だそうです)なんて言葉を目にするようになってしばらく経ちますが、この遊びはかけた時間の割りに自分の中に残るものが多くて(ホントか?)タイパがいい、高いと言えますね(ホントかなあ?)。
 時間を有効に使いたい、というのは老いも若きも、古今東西、まあまあ考えることでしょうけど「無駄な時間を過ごす」のも有効、というか必要、というか楽しい時間の使い方なのでは、と思います。ゆえに「フォントくるくる」はタイパがいい(…)。

 そうそう、フォントの話でした。先日ある公共施設(いやいや、ちょっとおもしろめの勤務館ですよ)の中を歩きながら、友人とフォントの話をしていたんです。
 友人曰く「丸ゴチはどこまでいっても丸ゴチ」。うん、確かになあ、と思い、フォントのことだけでずいぶん話が弾みました。フォントも千差万別ですね。そこらへんが「表情」とつながるところでもあるのでしょう。

 さて図書館のスタイルの話です。これはあまりに広くて深くて入口も出口も多く、語り始めるのも躊躇してしまうのですけれど、最近考えているのは「(公共)図書館のスタイルは土壌がつくる」のではないか、ということです。
 地域には独自の土壌がある。その土壌が図書館を育てるので、図書館はその地域独自のものになる、というような意味です。
 たとえば別々のふたつの地域に、同じ建物、同じ資料群、同じ職員が働く図書館があるとして、その図書館は同じものになり得るのか?そうはならないのではないか。その同じになり得ないものを、その図書館のスタイルと呼ぶことができるのではないか、という考えです。

 図書館員が、図書館長が、教育委員会や図書館を所管する部局が、首長が、他の地域で成功した(と考える)図書館を再現しようとして、もしできなかったとしたら、それはそのスタイルが、地域の土壌にあっていなかったからなのではないか。
 土壌が図書館をつくると同時に、図書館が土壌に影響を与える。そこに図書館のスタイルと地域のスタイルの循環や結合が生まれるのではないか。そんな妄想をしたりしています。

 その図書館独自のスタイルに触れられるインターフェイスのひとつが、図書館員の表情なのではないか、とも考えています。地域の土壌にあった表情とは、土壌にいい影響を与える表情とはどんなものか。そんなことを考えるためにも「フォントくるくる」は無駄ではないなあ、と思ったのでした。
 そうそう「閂」は「一」に微妙なニュアンスが表れて味わい深いですね。「問」もダイナミックな表情の変化が楽しめましたよ。(大)

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