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タイトル 司書の私書箱

No.1「手紙と読書の手紙」

 高橋です。手紙を書いてくれと言われたので筆を執りました。

「拝啓 元気ですか?私は元気です。今日のお昼は焼きあごラーメンと柚子餃子でした。元気ですか?私は元気です。敬具」

 こんな文面でもポストに封筒を見つければ、今日び十分嬉しいのではないか、とも思いましたが、久しぶりのお手紙なので、私にもお返事がもらえそうなことを書いてみようと思います。ええ、私もお手紙が欲しいのです。

 最近、司書のお仕事はどうですか?同じ司書でも、こちらは何やらバタバタしていて、ゆっくり本を捲ることもできないでいます。当然お仕事として本に目を通すことは日課にしていますが、本を手に一人になれる時間(…もしくは作者と語り合う時間)とはずいぶんご無沙汰してしまっている気がします。こうやって文字を書いてみて思ったのですが、なんか読書と手紙って似てますね。「語りかけを感じられる」とでもいいますか、相手(もしくは世界感)と自分だけの世界で、知らない人に作り笑いをしなくて済むのが私にはとても良いです。

挿絵

 小物にも通じるものを感じます。栞やブックカバー、書見台、インクにペン、封蝋、ペーパーナイフ、そもそも本の紙や便箋そのものにも落ち着きがありませんか?私自身が要領の悪い性格なものですから、「この物の役目はこれ」と決まっている物のほうが、長く使えてありがたいのです。別段、懐古主義に浸っているわけではありません。ただ、私が古いというだけです。何でもできて、何処にでも行けるという司書には、とても憧れます。時代が必要としているのもそういった人なのでしょう。スマートフォンのような、便利で、早くて、多機能なツールが求められることは当然だと思います。ただ、手紙のような司書がいても許される(もちろん全員では困るでしょうが)、多様性を認められる時代でもあってくれるなら、私も、手紙や、没頭する読書に親しみを覚えていることを、素直に口にできるようになるのかもしれません。

 話が散らかりました。本が読めていないというお話でした。ここまで書いてきて、思いのほか、満足を感じている自分がいます。そもそも「手紙を書け」と言われた側ですから、「読んでとまでは言わないので、受け取ってほしい」くらいの我儘は許してもらえますよね。ですので、これから本が読めないときは手紙を書くことにします。まさか人に「手紙を書け」と言っておいて受け取るだけという薄情でもないでしょうから、簡単なお知らせでもお返事いただければ幸いです。ええ、私もお手紙が欲しいのです。

 仕事柄、読んでいる本の量を聞かれることは多くても、ここ一か月で貼った切手の枚数を聞かれることは、まあ、ありません。
「私はROCKを聞いています。毎日レコード3枚」そんなお返事を楽しみにしています。(高)

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