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タイトル 司書の私書箱

No.42「リブリ・ノン・グラータの手紙」

挿絵
※挿絵はクリックで拡大します。

 こんにちは。いつまでも暑いですね(確信を込めた推測)。紙の本は適切な温度や湿度で管理できるのが望ましいと思いますが、それはそれとして、気温が文章(を書く人間)に与える影響について考えたりしています。

 いただいた手紙の「現代の図書館での俗な本と良書の関係」というところに反応しました。「良書」というものは確かにあるし、否定することはないんですが、図書館、図書館員との関係においてはなかなか微妙な存在でもあるな、というのが正直なところです。
 良書と認定すること、良書だから紹介する、薦めることは「思想善導」につながらないか、との考えを自分の中から完全に排除することはできない、と感じています。

 先日、友人が「中川運河しおりのアトリエ」というところの「戦後80年プロパガンダの栞展」という企画展を見てきたそうで、情報を共有してくれました。日本図書館協会が昭和11年12年の図書館週間に作成したしおりにはそれぞれ「国体明徴は図書館より」「国民精神総動員 読め!国力涵養のために」という標語が書かれていたのだそうです。インパクトの強い標語です。
 これは不勉強なまま、あえて言うのですが、この標語を考えた人、採用した人は、ただ単に時代の趨勢に乗ったのではなく、「このご時世に図書館なんて悠長なことをやっている場合か」ということになるのを防ぐための方便として「国体」「国民精神」「国力」を利用した、とも考えられるのではないか。もしそうだとしても、だから思想善導もいたしかたなし、ということではないのですが。
 とにかくそんな歴史を踏まえつつ、本を紹介すること、薦めることをどう積極的に肯定できるか、考えているところです。

 「ペルソナ・ノン・グラータ」という言葉を覚えたのはたぶん『ゴルゴ13』だったと思います。ラテン語で「好ましからざる人物」という意味で、外交用語としては外交官や元首の「入国拒否」「国外退去」みたいな場合に使われるようです。
 そこから「リブリ・ノン・グラータ」なんて言葉を思いつくわけです。ラテン語がまちがっていたらごめんなさい。まあ、図書館に入れたくない本、好ましからざる本、みたいなことですね。
 「図書館の自由に関する宣言」では、提供の自由が制限されうる場合として(寄贈、寄託資料は別として)「人権」「プライバシー」「わいせつ」がキーワードとしてあげられています。しかしそれ以外にも現場の図書館員が「正直なところ、ノン・グラータだなあ」と感じがちなジャンルはあるのではないかと思います。わかりやすいところで言えば「似非科学」「超心理学・心霊現象」「陰謀論」などです。こういったジャンルの本の中には娯楽として楽しめるものもありますし、ある程度需要があることも間違いないし、またそういった本が出版されるという社会の状況を無視するわけにはいかないですから、図書館に一切置くべきでない、ということはできないと思うんです。ただ「図書館に置いてある本だから信頼できると思った」という利用者もいるだろうし、フェイク情報に対するリテラシーという文脈で、図書館がそういう本を積極的に収集したり提供したり、というのは難しいし、それらのものを(なんらかの意図をもった文脈でのものを除いて、と留保をしておきますが)紹介したり薦めたりというのはさらにノン・グラータなのでは、と考えられます。
 ただ、そこにはグラデーションというものがある。資料のほうにもあるし、情報提供の仕方にもある。特集展示の中にそういう本が入っていたら「推奨、推薦」なのか。POPがついていたらそうなのか、SNSで言及したら、棚で表紙を見せていたら、開架に置いたら、所蔵したら…。こういうのはどこかに線を引けるようなものではないのでは、と思います。その都度、ひとつひとつ考えていかねばならないのでは、と。
 「なぜこんな本を推薦するのか」という指摘は常にあり得ます。その指摘を恐れて、本を紹介するのを躊躇したり、POPを書くことをやめたり、特集を組まないというのは、図書館の機能の大切な部分を放棄することになるのでは、と危惧します。そこはやはり一冊一冊の本と向かい合わねばならないということでしょう。

 また、安易に「リブリ・ノン・グラータ」を設定するということは、図書館的な「ペルソナ・ノン・グラータ」を設定することにつながらないだろうか、とも想像します。
 図書館では誰でもどんな情報にもアクセスできる、というのが理想です。現実的には排除せざるを得ない本や人がゼロではないけれど、実際になにかを排除するときに、その理想の方を向いて考えることも大事なのではないか、と思っています。

 なんだか、当たり前のことばかり書いているような気がしますが、自分にとっての当たり前が、他の人にとってそうでないということはよくあることなので、ときにはこんな風に書いてみるのもいいかな、と言い訳しながら書いています。髙橋さんのお考えも聞けると嬉しいです。
 しかしやはり暑い。この文章にも影響を及ぼしているのではと思えてきました。(大)

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