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タイトル 猫の手は借りられますか〜図書館肉球譚〜

第18回 図書館は「死者の民主主義」の砦!?

 私の住む地域のお盆は8月です。今年、身内が亡くなったので、初盆の準備の合間にこの原稿を書いています。変化の激しい時代にあって、お盆はご先祖に思いをはせる数少ない機会ですね。でも、いつでもご先祖を思い出すことができる場所が、私たちの身近にあるんですよ。

 墓地?

 でも、最近は住んでいる場所とお墓が遠く離れているのが普通になってしまいましたからね。

 私が思い浮かべているのは図書館です。書架に並んでいる何万という本の著者は、多分、亡くなっている方が多数派だと思います。巨大な共同墓地のようなもの、と言えなくもありません。そして、棺桶ならぬ書物を手に取ってみてください。すでに倒れたはずの著者が、中島みゆきの「時代」の歌詞のように、私たちの脳内を歩き出すのです。

 最近、面白い言葉を知りました。

 「死者の民主主義」

 最初に出会ったのは別の中島氏、政治学者の中島岳志の著作でした。(このコラムを書いている時点では、ぴんぴんしておられます。)彼は、過半数が賛成すれば何でもまかり通るという民主主義の素朴な解釈に疑問を呈して、死者の民主主義としての「立憲主義」を主張しています。

 <立憲主義とは、生きている人間の過半数がイエスといっても駄目なことがあるという考え方だといいました。では、その「駄目」といっている主語は誰なのか。それは、過去を生きた人たち、つまり「死者たち」なのです。(中略)憲法というのは、死者たちが積み重ねた失敗の末に、経験知によって構成した「こういうことはやってはいけない」というルールです。過去の人々が未来に対して「いくら過半数がいいといっても、やってはいけないことがあるよ」と信託している。これが立憲の考え方なのです。>中島『自分ごとの政治学』NHK出版

 立憲主義によって、民主主義は「死者に制約された民主主義」となる。なぜなら、憲法は死者たちの経験知が集約されたものだから。この考え方を延長すれば、「民主主義の砦」と呼ばれることもある図書館は、実は、生者がいつでも死者たちと交信して知恵を借りることができる「死者の民主主義の砦」といえるんじゃないでしょうか。

挿絵
※挿絵はクリックで拡大します。

 ぴちぴちしている著者が書いた流行の本をコレクションに加えることは大切です。でも、今だからこそ読み返してほしい死者たちの知恵の結晶も、たまには閉架書庫から取り出してアピールしてはいかがかでしょう。品切れ・絶版となった本は、じきに新刊書店ではお目にかかれなくなります。だからこそ、新刊ではない本との出会いを求めて図書館を訪れる方もいらっしゃるのです。

 多くの図書館では、作家の訃報が流れるたびにその著書を展示しますが、忘れられた本を今に甦らせる工夫はもっとできるはず。お盆というよりハロウィンに近い、にぎやかなイメージが図書館には似合いそうですけどね。手始めに今年のハロウィンは、今は亡き著者たちの本の展示と、著者や登場人物にちなんだコスプレのセットではいかが?お試しあれ。

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