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タイトル 猫の手は借りられますか〜図書館肉球譚〜

第52回 学校をやめたら、図書館で哲学対話

挿絵1
※挿絵はクリックで拡大します。

哲学に興味をもったことがありますか?あるとすれば、それはいつ頃でしたか?私の場合は小学6年の頃、自分自身、そして人間が生きる目的について気になり始めました。どうせ死ぬのに、なぜ生きるのか?哲学はそういう疑問に答えるための学問らしいと知り、図書館や書店の哲学の棚を漁って回りました。大学1年で哲学研究会に入部したのですが、哲学書の輪読会で複雑な論理や独特の用語に圧倒され「こんな難しい本、とても歯が立たない」と心折れました。こうして私の第一次哲学ブームはあっけなく終わったのです。

あの挫折から半世紀近く経った今年の春、苫野一徳(とまのいっとく)の『親子で哲学対話:10分からはじめる「本質を考える」レッスン』(大和書房)という本を読みました。哲学は大人がすること(特に、哲学者の書いた難しい本を読むこと)というイメージがあったのですが、本書のおかげで大人と子どもが対等に対話できるのが哲学対話と分かりました。哲学者の父に語る小学生の長女の言葉が素敵です。

「わたしは不登校になったんじゃないの。学校を自分の意志でやめたの。」

彼女は、学校をやめることを自分で選んだのです。自分が読む本を自分で選ぶように。こんな風に自立した思考ができれば、何歳でも哲学対話に参加できるでしょう。

2015年8月26日、鎌倉市立図書館が公式ツイッターでこんな発信をして、大きな話題となりました。

「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ」

当時の私は愛知県田原市の図書館長であり、市教育委員会の職員でもありました。このツイートには共感するけど、自館の公式ツイッターで同様の発信はできないと思いました。図書館側に学校を休んで図書館に来た子どもを受け入れるプログラムがなければ、単なる学校批判に終わってしまうのではないか。当時は図書館にできることとして、読書と自習のための資料や場を提供するか、学校教員に代わる誰かに授業をしてもらうくらいしか思いつきませんでした。でも、本書を読んで、いまさらながら思ったのです。「学校をやめて図書館に来た子たちと、哲学対話すればいい。」

鎌倉市立図書館のツイートが話題を集めた翌年、不登校児童生徒等への支援のため「教育機会確保法(義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律)」が制定されました。文部科学省が発行したリーフレットには「自分のクラス以外の場所でも安心して学べるように学びの場を整備します」とあります。そこに公共図書館は挙げられていませんが、法律上、学校と同様に教育機関であり、様々な学びの実験を試みる自由があります。「学校をやめる」ことを選択した子どもたちのための実験的なプログラムに堂々と取り組み、発表すればいいのです。哲学対話は打ってつけのプログラムです。

近年、日本の公共図書館でも、年齢を問わず誰でも参加できる哲学対話を行うことが増えているようです。田原市図書館では、NPOたはら広場の協力のもと「こども哲学対話」が開催されました。今年は哲学者を招いて「対話ファシリテーター養成講座」が行われ、私自身も参加しています。

いきなり図書館で哲学対話はハードルが高いと思っているあなた。まずは『親子で哲学対話』を手に取り、身近な人と「読書とは」「学習とは」「図書館とは」といったテーマで哲学対話を始めてみませんか。思いもよらない発見が待っているはずです。ぜひ、お試しあれ。

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