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連載エッセイ たくらんけの本あれこれ 若園義彦

33 春には花

 画家甲斐信枝の絵本を開くと心が安らぐ。やさしい色遣いと、柔らかな線には惹きつけられる。目線が花そのもの高さで、じっくりと眺めて、その良さを引き出しているからだろうか。綺麗だ、鮮やかだというだけの表現ではなく、咲いているそのものを映し出し、伝えてくれる。作為が感じられず、いわば自然体で対象と一体化していると言えそうだ。花に寄ってくる虫へのまなざしからも、自然の同居者であることがよくわかる。

 冬の冷たい風が吹いている中での散歩は辛い。それでも春を発見できる楽しみがある。住宅地では芳香が漂ってくる方を向くと、黄色の蠟梅が目に入ってくる。広めのお宅の庭には紅梅が開き、白梅の芽も綻びつつある。
 足元に目を転ずると黄色の水仙が頭を持ち上げ、小さな小さなオオイヌノフグリの空色もいつの間にか一面に広がっている。こうして植物の営みに春を教えられる。

挿絵

 私が春を感じ心弾むのは、地面から首を出し始めた福寿草の黄色を観た時だ。「春が来たんだ」と実感する。
 北海道に住んでいた頃、多分小学校5、6年生の春休みだったと思う。担任に誘われて同級生数人で近郊に出かけた。何をしに行ったのかはよく覚えてはいない。国鉄に乗り数駅先で下車、ゴム長で雪深い原野を歩き、谷筋を遡って沢水を探り、常緑の樹を見上げ、腹がすいたら南斜面で母の持たせてくれた握り飯を食べて他愛ない話をしていた。そんな時に、ふと雪の白に映える黄色が目についた。雪に覆われた斜面にひっそりと顔を出した福寿草だった。その時に春を実感した。その印象が強烈で半世紀以上を経た今でも、福寿草に少年期の思い出と春が重なる。

 その帰りには近くの駅まで線路上を歩いていた。蒸気機関車の汽笛や、重い響きに気をつけてトンネルや鉄橋を駆け足で渡り終えた頃、後ろから迫ってきたのは保線のモーターカーだった。そばで止まった保線係は怒るでもなく「乗って行きな」と、次の駅まで乗せてくれた。運行本数の少ないローカル線とはいえ、線路上を歩く小学生と教師に注意しないどころか同乗させてくれるなど今なら有りえないことだろう。
 春の足音が聞こえて、福寿草が咲くころ必ず思い出す。花咲く季節に思い出が寄り添う。

<参考・引用>
甲斐信枝「のげしとおひさま」「ざっそう」他 福音館書店

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